稽古場日誌

ダイバー研修生 研修生 2015/02/15

原体験/松永明子

わたしは発声の稽古が好きで、理由は2つある。

ひとつ、稽古を始めた当初は致命的に音が取れなかったのを、具体的に対策を練って音が取れるようになったから。
困難と思われた課題を努力によって解決したという、いわゆる成功体験を得ているので、自信につながっているのだろう。

もうひとつは、息を吸って、声に出す。あの緊張感。
どんな音を出したいか、あるいはどんな調整を身体の中でやりたいか。
自分の意思が明確で、冷静な状態。空気がぴんとして、自分のなかとつながっている、そんな心地になる。あれが好きだ。

わたしは声について考えるのが好きなのだろう。

すこし恥ずかしい話になるが、子どもの頃、部屋に閉じこもって漫画を音読するという趣味があった。
髭面のオッサンやマッチョの男などはイメージがしづらくて、なかなか納得いく声が見つからない。
子どもである自分と大人の男性であるキャラクター、両者の身体がまったく違うのでイメージがしづらいのだろう、などと当たり前のことを当時は素朴に分析していた。

その趣味は1巻から20なん巻までつづいた。
さまざまな状況のキャラクター達に声を当ててみて、さらにそれを録音して聞いてみて、「お、これはちょっとリアルぽく聞こえるな」とか、「これはどうやっても泣いている人の声に聞こえない、わたしが泣いてないからだ!」とか、「この声きもちわるいな、 そうか自意識が過剰なんだ」などと実験をくりかえしていた。

今になって思うと、あの情熱はなんだったのだろう。
普通の家の一室でぎゃーぎゃー、日常では出さないような声を出して熱心に遊んでいた。
家族は迷惑していたようで、「お願いだから大きな声で「裏切られた!!」とか「うおおおおおお!!!」とか夜中に叫ばないで。」と注意され、恥ずかしくて真っ赤になったこともある。

発声の稽古をしていると、その頃のことを思い出す。
意思を持って挑戦し続けていた頃のこと。
自分からいろいろなイメージが飛び出すことが面白くて仕方がなかった頃のこと。稽古の原体験。

修了公演に向けて稽古が盛り上がりつつある。
稽古をしていて、子どもの頃の分析が正しかったことが分かってきた。身体の状態は声に返ってくる。
声を変えたければ身体を変える。身体を変えたければ感覚を研ぎ澄ます。冷静に。けれどこれがなかなか難しい。
それから、まだまだ、本当にまだまだだけれど、自分のなかから予想だにしていなかったイメージがするすると出てきて驚くことがある。楽しい。

子どもの頃の自分が吃驚して喜ぶようなことをやってやりたい。
もちろん、修了公演を観に来てくださるみなさんも。

挑戦はつづく。

松永明子

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