稽古場日誌

ダイバー研修生 研修生 2015/03/13

なぜ演劇をやるのか?/小貫泰明

小津安二郎の「生まれてはみたけれど」という、子供の目線で自分たちには偉そうなことを説教するが会社の上司の前では太鼓持ちのようなおべっかを使う父親を描いた苦々しい真実の映画。
髪の毛フサフサしていた頃私はこれに反発した。絶対に違うと思い込もうと躍起になった。星を見るのが憎らしかった。
永遠で、不変なものに対する、自分の矮小さを受け入れることができなかった。

随分と額の面積が広くなり、肛門の締まりも弛み、細かい字が見えなくなった今、それを凝視出来るようになった。
勝つことでなく、負けることでなく、負うことが。
五十代のチンピラが誰でも惹かれる、絶望や死や不安、遊戯や危険は未だに色褪せることなく輝きを失わずに聳えったっているのだ。

天国は地獄の下にあるという話を聞いたことがある。
天国は上で、地獄は下にあると思っていたのに。本当の地獄を極めれば次のまだ見たことのない世界を見ることができる。
そう信じているので、まだ諦めきれずにじたばたしている。

なぜ、ウ゛ォイツェクをやるのか。
そんな8人の何故が集約すればとてつもないものが生まれるのではないか。
足し算でも掛け算でもなく二乗もあり得ると、思える今日この頃。

小貫泰明

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