稽古場日誌

荷揚げの仕事中。
16時開始の仕事があって、現場で段取りをしていたところ、相方が遅れるとの事。大工さんに謝ったのだが、「遅くなるなら鍵を閉めて帰るぞ」とイライラしている様子。
仕方なく現場付近で汗をかきながら待っていると、両手に荷物を抱えたおばあちゃんが歩いているのをみつけた。
しかもおばあちゃんは、頭を直角に前に倒して、3歩進んで2歩下がる、みたいな歩き方をしている。どうにも足下がおぼつかなく「大丈夫ですか?」と声をかけると、おばあちゃんは元気そうに「大丈夫大丈夫!」と応えてくれた。
でも様子を見ているとやっぱり歩き方が心許無く、元気そうには見えない。重そうな荷物を代わりに持ち、空いている方の手でおばあちゃんの手を握って歩きはじめた。おばあちゃんは申し訳ないのか少し歩くたびに「もう大丈夫です。もうすぐですから」と自分で歩こうとする。しかし僕の手を離せず、ただ立っているだけでもしんどそう。それでもおばあちゃんは何度も「大丈夫だから、もういいですよ」と言うので、とりあえず諦めてもらおうと「家に着くまでは何を言われても離しませんよ」と笑いながら、でもしっかりと伝えて介添えを続けていた。
僕なりに場を和ませようと世間話をしていると、どうやらそのおばあちゃんは一人暮らしで、しかも家のエアコンが壊れているという。独居老人にとってあんまり好ましい環境ではなさそうだ。
おばあちゃんはしばらく頑張って歩いていたが段々と会話が途切れ途切れになってくる。 さすがに危ないと思いおばあちゃんを休ませようと階段に座らせると、ぐったりと倒れ込んでしまった。身体を支えると燃えるように熱い。しかしおばあちゃんは「大丈夫だから」。いくら頑張っても自分の力で上半身を起こす事もできないのに。
僕の力じゃどうにもならない。救急車を呼ぼうと119にかける (焦って一度110にかけてしまった)と、おばあちゃんは「大丈夫だから! 自分で帰れるから!」と豹変したように声を荒げ、必死に電話をやめさせようとする。その気持ちは分かるのだが放っておく訳にもいかない。
おばあちゃんは段々不機嫌になってきて「大丈夫なのに。もうすぐなのに。変な人に捕まっちゃったわ」と不満を漏らし、「もうすぐ救急車が来ますから、元気だって分かったら帰れますよ」と落ち着かせようとしても「見たいテレビがあるのに。もう帰るから」と起き上がろうとする。「ダメですよ。救急車が来るまで待ちましょう」とおばあちゃんを抱えて待つ。しばらくして救急車が来て、担当の人に状況を伝えて見守っていると救急隊員が血圧や体温を測り始めた。その間もおばあちゃんは「もう帰ります。見なきゃいけないテレビがあるから」と訴えるが、体温計には尋常じゃない数値が示されている。僕が子供の頃ノックアウトされた39度を遥かに超えていた。当然おばあちゃんは救急車で運ばれる事に。一人取り残された僕は重い足取りで現場に戻るのだった。

ちなみにですが、おばあちゃんの年齢は70歳過ぎ。もしかしたらそのまま死につながるかもしれないのに、あのおばあちゃんの僕を見る目はとてもうらめしそうだった。

皆さん、くれぐれも体調には気をつけましょう。

河合達也

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『タイタス・アンドロニカス』『女殺油地獄』、両作品が「悲劇」であることにちなんで、「私と悲劇」をテーマにした稽古場日誌を連載中です。
それぞれの生活感あふれる「悲劇」をどうぞお楽しみください。

『タイタス・アンドロニカス』『女殺油地獄』公演情報
https://www.yamanote-j.org/performance/7207.html

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