稽古場日誌

伝統が失われることが悲劇なのか? それとも、旧弊に縛られ新しいことに挑戦できないことが悲劇なのか? 私にはわからない。

大学時代の話をする。私はとある演劇サークルに所属していた。お互いをあだ名で呼び合うとてもあたたかな集団であった。しかし、ある時を境におかしなことに気づかされることとなる。

新歓合宿に、大学を卒業した元部員たちが参加するという。ざわつく上回生。ふと垣間みえる先輩たちのおびえたような目。

合宿のメニューは、昼は野球大会、夜は寸劇作りとその発表、そして新入生たちのあだ名つけである。
日が暮れるまで白球を追い、汗を流し、夕食を食べ終わった後の発表で、はじめて演技に触れ、そして先輩たちが新入生のあだ名をつけることに少し飽き始めたとき、ひとりの卒業生から何気なく腕相撲が提案される。
なぜか固い空気がしばし流れた後、腕相撲大会が始まる。数回の勝負の後、ある卒業生と当時4回生だった先輩との決勝戦。どちらも一歩もひかず、白熱した展開となる。永遠とも思われる膠着状態が続き、応援もいっそう激しさ増したとき、悲劇が訪れる。

・・・ゴキッ。

声援をかき消す鈍い音が響き渡る。私ははじめて知る。硬い骨が折れると、これほどまでの悲鳴を発することを。

そして、合宿が終わり、あのときの空気の理由を知らされることとなるが、昔、先輩方はほんとうに怖かったそうだ。そこで聞いた話は、恐ろしくてとてもここには書けない。その関係を壊したくて、穏やかなつながりが少しずつ作られたそうだ。私は先輩と後輩のぎすぎすした関係が解消された後に、このサークルに参加したのだ。

しかし、私は知ることになる、新しい関係を手にいれたとき、同時にそれまで培われた演劇的な伝統が失われてしまったことを。
もっと自由に。
という気持ちは少し闊達に流れすぎたのかもしれない。怖かった先輩たちと一緒に、それまでの方法論も同時に捨ててしまったのだ。

本番では、好きなように舞台に出はいりし、立ち位置も決めず、ときに舞台袖は、はけてきた役者たちでおしくらまんじゅうとなる。
1回生だった私は音響効果を担当し、どんどん長くなる先輩の芝居のために、今は懐かしいオープンリールの編集を夜を徹してやったものだ。

そして、私も2回生になり、初舞台を踏むことになる。演目は、THE・ガジラの鐘下辰男が書いた『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・京都 新選組の巻』。
初回の稽古で、演出を担当する3回生の先輩が稽古場に颯爽と現れ、そして、語ってくれたひとことをいまでもよく覚えている。
「ミザンセーヌって知ってるか?」
・・・もちろん知らなかった。
そして、先輩がたも忘れてしまっていたのだ。普通は、本番までには立ち位置を決めることを・・・。

あのときの私たちを笑わないでほしい。稚拙だったかもしれないが、異常なほどわくわくしていたのだ。
演劇に。

斉木和洋

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『タイタス・アンドロニカス』『女殺油地獄』、両作品が「悲劇」であることにちなんで、「私と悲劇」をテーマにした稽古場日誌を連載中です。
それぞれの生活感あふれる「悲劇」をどうぞお楽しみください。

『タイタス・アンドロニカス』『女殺油地獄』公演情報
https://www.yamanote-j.org/performance/7207.html

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