稽古場日誌

傾城反魂香 名越 未央 2017/09/14

華麗なるモデルたちの豪華共演

『傾城反魂香』の登場人物の多くは、実在した人物をモデルにしています。
 
狩野派の基礎を築いた狩野元信(かのうもとのぶ)、土佐派を再興した土佐光起(とさみつおき)、戦国三大美少年と謳われた名古屋山三郎(なごやさんさぶろう)など、当時の観客にとってはワクワクするような豪華絢爛なラインナップだったに違いありません。
 
しかし残念なことに、現代では、そのモデルたちは誰もが知る有名人ではなくなってしまいました。そんなことではこの物語の華やかさが存分に楽しめません! もったいない!
ということで、Let’s study!
 
まずは、“狩野派”について。
狩野派というのは、室町時代から江戸時代にかけて強大な勢力を誇った絵師の一族です。当時の絵師は、自分の描きたいものを描くアーティストというよりも、大名や幕府などに仕えて注文された絵を描き、地位や俸給を受けることがなによりも重要でした。狩野派は特に、徳川幕府のお抱え絵師として他の絵師を圧倒して君臨し続けました。
元信は狩野派2代目の当主です。中国伝来の絵と日本の絵を融合して珍しい題材も描けるようにし、工房を組織して大量生産できるシステムを確立しました。これによって多種多様な注文にハイスピードで応えてくれると大評判になり、狩野派は人気を博したわけです。画家としての力はさることながら、商売人としての手腕のよさもうかがえます。

“土佐派”は、狩野派に次いで有力だった絵師一族と言えるでしょう。『傾城反魂香』では、うだつのあがらない絵師だった又平という男が、土佐派の一人前絵師として認められ土佐光起(とさみつおき)という名を与えられる様子が、ドラマティックに描かれています。
史実によれば、光起は土佐派が85年間失っていた宮廷絵師としての地位に復帰した人物。おちぶれかけの土佐派を、画力と政治力で盛り返した花形なのです。
 
また、元信に惚れ込み狩野派が名を成せるよう尽力する“名古屋山三春平”(なごやさんざはるひら)のモデルが、名古屋山三郎という男にも女にもモテまくった色男です。
類稀な美貌を持ち、スキャンダラスな噂が絶えないお方でした。豊臣秀吉の側室・淀殿と通じて秀頼をもうけたのでは!? とか、歌舞伎の祖・出雲阿国(いずものおくに)の愛人らしい!? とか。キリシタン大名(もちろん、男)に寵愛されたので、当時大流行していた南蛮風の衣装を着せられたと言います。きせかえ人形的なね、うん、いやらしい。でも似合うんだからしかたない。大きなロザリオや、白いヒダヒダの襟巻き、袖なし長襦袢(ベスト)などが、その美貌に抜群にマッチして、異様な空気を醸しながら街を闊歩する姿に誰もがメロメロになったのだとか。
ちなみに『傾城反魂香』の中では、名古屋山三が阿国という遊女に頭を下げる場面があります。山三には葛城(かずらき)という恋人がいるので、阿国とは何の関係もないはずですが、2人が伝説の愛人同士だと知っている観客は、これを見てドキドキと心がざわめき立ったわけなのです。
 
『傾城反魂香』の華やかさ、少しは感じていただけたでしょうか? こういったラインナップにまずはワクワクしながら、劇場での力強いパフォーマンスを楽しんでいただければ幸いです。
劇場でお待ちしております!
 
名越未央

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『傾城反魂香』
2017年10月13日(金)~15日(日)
大田区民プラザ 大ホール
公演情報はこちらをご覧ください。
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