稽古場日誌

傾城反魂香 倉品 淳子 2017/10/07

山の手は、なぜ、難しいと言われてしまうのか?

私が思うに、テレビドラマと、私たちのやっている舞台表現の最大の違いは、観る側に想像力を要するかどうか、だと思います。

《四畳半》では、具体的な舞台装置や小道具などは使わず、俳優の最小限の記号的な所作だけですべてを表現するのが基本です。つまりお客さまの想像する余白を作ることが重要なのだと考えています。

例えば、この『傾城反魂香』という作品。筆で絵を描くシーンが多く出てくるのですが、具体的にパントマイムで絵を描くというわけではなく、身体全体でまるでダンスかと思われる所作をすることで、奇跡的な傑作を書き上げる凄みまでをも表現したいわけです。

それは、絵画の世界でいうと具象画や写実画と抽象画の違いとおなじです。(まあ、これも意見の分かれるところみたいですが。)

実際のものをそのまま表現するのではなく、抽象的に表現することで、より強い印象をお客様に与えられるのではないか?  という仮説の上に成り立っています。

ただ!

ここが重要なんですが・・・。

わからなくていいと思っているわけではないんです。
この抽象化をやりすぎると、何がなんだかわからなくなってしまう。
観る側の想像力を刺激しながら、なおかつわかりやすい面白いものが作りたいのです。
特定の人に見せたいわけではなく、より多くの人の共感を得たい!
目指すは、想像力を大いに刺激しながら、よくわかる表現をすること!

相反しています。
自己矛盾に近い状態です。
いつもここで悩みます。
舞台芸術であるからこその悩みといってもいいでしょう。

このところ、演出の仕事が多い私は、わかってもらえないということを恐れるあまり、写実派の傾向があるのかもしれません。

でも、本当は、もっと客席を信頼しなくてはならないと思っています。そして、この表現でしか到達できないお客様との蜜月の時間を手に入れたい!
ああ、劇場でお会いできることを心より楽しみにしております。そして、特別な関係になれることを!

倉品 淳子

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『傾城反魂香』
2017年10月13日(金)~15日(日)
大田区民プラザ 大ホール
公演情報はこちらをご覧ください。
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