稽古場日誌

デカメロン・デッラ・コロナ 名越 未央 2023/02/13

疑問と好奇心がぶつかり合いビッグバンが起こる場所――劇場

『デカメロン』は、ルネサンス期を代表する小説です。
昨秋、演出の安田がふと「ルネサンスっていったい何だったの?」と劇団員に投げかけました。
何だったの……!?

美術館好きの私にとって、ルネサンスはとても明るいイメージです。
レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ボッティチェッリなどの天才芸術家が活躍し、後世に残る絵画、彫刻、建築、文学作品などの傑作が次々に生み出された芸術の黄金期。
でもそれだけでは「ルネサンスって何?」という質問には答えられていないような気がして、もっとその本質に迫りたい、『デカメロン』が生まれた時代の空気みたいなものを掴みたいと思いました。

そうしてルネサンスに関する本を読み漁っていたころ、塩野七生さん(※)が著書の中で「見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発、それがルネサンスです」と書いているのを見つけて、これだ‼ と大興奮しました。

ルネサンスは確かに、芸術が大いに花開いた時代です。
ではいったいなぜ芸術が花開いたのか? 
この「なぜ」にこそ塩野さんの言う「欲望の爆発」があり、ルネサンスの、いやもっと言えば芸術とか人間とか世界とか、遥かに大きなものの本質に迫れるような予感がしました。
人が芸術活動にいそしむのは、見たい、知りたい、わかりたいという欲望が高じている時だと、塩野さんは書いています。それは芸術を創り出す側だけでなく、受け取り手にとっても言えることで、非常に多くの人が芸術を求めた時代だったのだと思います。
なにかわからないこと、不安なこと、困ったことに直面して、疑問を抱え好奇心が沸き上がり、「創作すること」や「創作したものに触れること」を通して、理解しようとしたり何かを見出したりしようとする。芸術はその手段であり過程であり結果でもあるのです。

それならば、この欲望の爆発は、舞台芸術にこそその真骨頂があるのではないかという期待がむくむくと湧き上がってきました。劇場で、生身の人間たちが引き起こすビッグバンがみられるのではないかと。

現在、私たちは稽古の真っただ中。久しぶりに脚本を書いた安田の文章からはひしひしと不安や疑問や好奇心が飛び出してきて欲望がうごめいているのを感じます。それを読む俳優やスタッフもまたそれぞれに、不安や疑問や好奇心を注いで『デカメロン・デッラ・コロナ』という作品に結晶化していきます。さらに劇場では、お客様一人ひとりが抱えているものに、劇場で作品に触れて湧き上がる感覚が交じり合って、たくさんの何かが生まれてほしいのです。
劇場における観客は単なる受け取り手ではありません。コロナによって無観客公演や映像作品づくりを経て改めて、生身の観客の迫力というものをより強く感じる様になりました。劇場では、そこにいるすべての生身の人間たちがビッグバンを引き起こす担い手です。
劇場はそういう可能性を秘めている場所だし、そのためには人間の感覚を刺激するような迫力ある作品を目指さなければと改めて思っています。

さてルネサンスに話を戻すと、当時の人々の欲望が爆発した大きな原因は、キリスト教世界での抑圧と変動にありました。
キリスト教がヨーロッパを席巻して以来1000年余り、王ですら太刀打ちできない絶対的な権力を持って君臨していたのがローマカトリック教会です。当時の人々にとって、教会の教えはすべての価値観の基準でした。
いわく、人間は生まれながらに罪深く、神=教会に導いてもらうことが罪を清める唯一の方法で、信じなければ地獄に落ちる。恐ろしいことに、当時の聖書は一般市民には理解できないラテン語で書かれていて、ほとんどの人にとってまるで意味不明だったのですが、ちらとでも疑えば地獄行きというのがとにかく恐ろしいので、ありがたがって天国に行けるのを待つしかなったのです。罪を背負って生まれた人間が、疑問を持ったり、考えたりすること自体、無意味で罪深いことだと信じられていました。

しかし人間は考える生き物です。
長い長い間、見ないふりをして抑え込まれ続けた人間の欲望が、やがて爆発する時を迎えます。
十字軍の失敗、教会の腐敗、ペストの大流行、ローマやギリシャの古典文化の流入、商人が力を持ち政治経済を動かし始めたことなど、様々なことが起こるなかで次第に価値観が揺らぎ、人々は疑問や好奇心を募らせていきました。
特にペストの大流行は、先日の谷さんの日誌にもあったように人口が2/3にまで激減したとさえ言われる(諸説あり)凄まじいものでした。信じれば救われると思ってきたのに、赤ちゃんも老人も僧侶も罪人も王様もわけ隔てなく酷い有様で死んでいく光景に、人々は「なぜ」と思わずにはいられなかったでしょう。

コロナの大流行によって、私たちの当たり前も大きく揺らぎました。
「なぜ」と思ってしまうことが本当にたくさん起こって、浮いては沈み浮いては沈み消化されずにくすぶっているものが皆さんの内側にもたくさんあるのではないでしょうか。
劇場が、生身の人間の迫力に触れながら、「なぜ」を探っていける場になればと思います。

劇場で、あなたをお待ちしています。

名越未央

※塩野七生(しおの ななみ)さん:歴史作家、小説家、評論家。古代ローマ史やイタリア史、イタリア文化に関する著作多数。その功績は高く評価され、2000年にはイタリア政府よりイタリア共和国功労勲章を受けた。この言葉は、『ルネサンスとはなんであったのか』(新潮社,2001年)で言及されている。

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劇団 山の手事情社 公演『デカメロン・デッラ・コロナ』
日程=2023年3月24日(金)~26日(日)
会場=池上会館 集会室

チケット発売中!!
公演情報は こちら

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